こんにちは、ハクサンフウロです。先般、福井城について記事をUPしましたが、福井城はもともとこの地にあった北庄城の城跡に建設された城です。北庄城は織田家の武将であった柴田勝家によって築城されました。安土城天守を凌ぐ規模の天守が建設されていたとか。
秀吉の天下へ・柴田勝家との激突
北庄城は、織田信長亡き後の覇権を争う羽柴秀吉と柴田勝家の抗争の果てに秀吉勢に攻められ炎上します。柴田勝家は、妻となっていたお市の方と自害、お市の方の三人の娘は秀吉勢に投降します。この戦いで秀吉の覇権はほぼ確立しました。
北庄から福井へ
北庄城は炎上してしまい、9層もあったとされる天守閣もその遺構は残っていません。しかし、やはりこの地に築城するのであればこの地が最上だったのでしょう、越前國68万石の太守となった結城秀康はこの地に再度縄張りを行い福井城を築きました。
北の庄城があったとされる地の一角には現在柴田神社が鎮座しています。平成5年以降、北庄城の発掘調査が行われ、北庄城の石垣や堀跡が確認されました。柴田神社では、発掘された石垣跡を見ることができます。また、悲劇のヒロインとなった茶々・初・江の三姉妹の像、そしてこの地で最期を迎えた柴田勝家の像もおかれています。
メモ
リンク:福井市ホームページ
北の庄城址・柴田公園へのアクセス
JR福井駅から徒歩5分