こんにちは、ハクサンフウロです。2024年の北陸新幹線の延伸、よくよく考えれば終着駅は敦賀です。忘れてました。となれば、敦賀も紹介せずばなるまいて・・・。
敦賀といえば、敦賀気比高校、レッドソックス吉田正尚・・・そうだけど本ブログの趣旨と違う・・・そう、敦賀といえば大谷吉継がいるじゃないか!
都市としての敦賀は吉継が作った
大谷吉継といえば、豊臣秀吉の家臣。吉継の母親が秀吉の正室高台院の侍女であったとのこと。秀吉の中国攻めには14歳で参陣。秀吉の馬廻を務めていたようです。その後、賤ヶ岳の戦いでは、柴田勝豊を調略する等順調に武将としての能力を伸ばしていたようですね。また、1586年の九州征伐の折には石田三成の下で堺奉行として働いています。おそらく補給・兵站等の実務を担当していたんでしょうね。
その後、1589年に越前敦賀城主となります。前の領主は蜂屋頼隆。町割りを行い、笙の川を中心に川東・川中・川西と3つのゾーンにわけ、商業都市敦賀の基盤をつくりました。敦賀城も吉継が完成させています。もっとも現在はその遺構は残っていませんが・・・残念。
秀吉が吉継に何を期待して敦賀城主にしたのか?というのを考えています。木の芽峠以北の越前は当時名人堀久太郎秀政が封じられ豊臣政権のしっかりした地盤と呼べる地域となっていました。北への備えというよりも、やはり敦賀の持つ特性、北陸から北の地域から海を通じて近畿の最も近い窓口という点を重視したのでしょう。まだ北前船航路ができていない当時、敦賀から陸路を行けば琵琶湖から京→大阪はまた水路が使えたわけですし。秀吉にはしっかり稼げよといわれたのでしょうか。
残念ながら現在の敦賀に敦賀城の遺構はありませんが、商業で栄えた敦賀の豊かさをその町並みで感じることができます。そうそう、敦賀のソースカツ丼を味わうことも忘れたらだめですね。