こんにちは、ハクサンフウロです。1948年6月28日は、福井地震が発生した日です。今年は75年の節目の年となります。この地震を経験した人が少なくなっている昨今、今一度福井地震がどのような地震だったのか、確認していこうと思います。

地震発生

1948年(昭和23年)6月28日午後4時13分に発生しました。震源地は坂井市丸岡町付近。地震の規模はマグニチュード7.1でした。内陸直下型の地震で、同様のメカニズムで発生した地震には2004年の新潟県中越地震などがあります。

このタイミングで・・・

1945年(昭和20年)、太平洋戦争終盤で福井市は空襲を受け、損壊率約85%と壊滅状態となったところから復興し始めていたタイミングでの震災でした。死者は3,769人、負傷者は22,000人以上、全壊した家屋は36,000戸に及び、福井県嶺北地方の平野部に大きな損害をもたらしました。悪いことに福井平野の中央部を流れる九頭竜川の堤防も被害を受け、翌年の豪雨に際して堤防決壊と水害をもたらすという、災害の連鎖という最悪のパターンとなりました。

あの国民的作家が・・・

後の国民的作家「司馬遼太郎」は新聞記者として産経新聞の京都支局にいた際に取材のため被災直後の福井に入っています。その際の様子は「街道をゆく 越前の諸道」に詳しく書かれています。

震災の経験を語り継ぐ

すでに福井地震は発生から75年が経過し、この地震を経験した人の多くが鬼籍に入っています。管理人の周囲でも父方の祖父が福井市内で被災、母方の曽祖父が震源地から約30km離れた地域で地震を経験しました。いずれも当時の経験を周囲に語っており、その一部をここに記載しておこうと思います。

父方の祖父の経験

昭和22年に抑留されていたシベリアから復員した祖父は、すぐに入営前に営んでいた繊維仲卸の仕事を再開していました。地震のあった日も福井市内中心部で商談を行っていたそうです。この日も商談を終えて取引先を出たその瞬間に自信が発生、今の今まで商談をしていたお店が目の前で倒壊。周囲も壊滅的な状況で火災も発生する状況で、当時住んでいた30km離れた自宅に鉄道で帰ろうとしたそうですが当然動かず、一晩かけて命からがら歩いて帰ってきたそうです。

曽祖父の経験

同じころ、震源地からこちらも30kmほど離れた山間部の畑を耕していた曽祖父も強烈な揺れに襲われました。あまりの揺れで立っていられなかったそうです。その瞬間、群れて飛んでいた鳥が一斉に地上に落下していくのが見えたそうです。

この「地震の際に鳥が落下する」事象について調べてみましたがやはり同様の事象が各地の地震発生時に起こっているようです。原因はまだ謎のようですね。

福井のおとなり石川県でも能登地方を中心に地震が頻発しています。日本列島はすべての地域で地震から安全という地域はないといいます。福井地震75年を機に、改めて防災について考えなおしてみるきっかけになればいいなと思います。