こんにちは。ハクサンフウロです。
大河ドラマ「どうする家康」ご覧になってますか?
家康の描き方やストーリーに賛否あるようですが、エンターテイメントとしては面白く仕上がっててハクサンフウロは楽しく見ています。
山県三郎兵衛昌景は戦国最強武田氏の象徴
若き家康を脅かした武田信玄。大河ドラマで演じる阿部寛さん、スゲェ威圧感あってよかったです。その信玄公を支えた武将としてドラマでは穴山梅雪と山県昌景の二人が象徴的に出演していますね。具足を朱色に統一した精強部隊「武田の赤備」を率いた山県昌景は長篠の戦いで戦死するわけですが、その後、子孫はどうなったのでしょうか?山県昌景の子昌満は武田家滅亡に際して織田軍に捕らえられ処刑されてしまいます。武田家滅亡後、武田家臣は多くが甲斐信濃を支配した徳川家に召し抱えられました。昌景の孫昌久は、福井藩二代藩主松平忠直に召し抱えられ、大阪夏の陣で功を挙げ五千石を得ました。その後、昌久弟の昌時が跡を継ぐのですが、この時に姓を母方の姓である笹治に改めています。また、名前も昌時から正時に改めています。名将山県昌景の子孫であることは武士の誉れでもありますが、主家を戦で苦しめたこともあり名乗りを憚ったということのようです。
藩政期を通じ福井藩に仕えた笹治家は幕末に藩主松平春嶽公の命により山県姓に復しています。幕末のころには200年以上前の話はさすがに物語の世界になっていたのでしょうね。
名将山県昌景の菩提所はその子孫が住んだ福井市内に存在しています。
参考文献:福井県文書館資料叢書「福井藩士履歴」とレファレンス